| 発展途上国では大多数のエイズ患者が治療薬の恩恵に預かれないまま息を引き取る。多国籍製薬企業が一方的に決定する薬の販売価格が高すぎるからだ。発展途上国でのエイズ問題は貧困や差別との戦いと同時に、薬価の引下げのたたかいでもある。世界に広がる必須医薬品値下げ運動は今回、タイで大きな成果をあげた。薬価引下げを目指す現地NGOと政府の取組を追った。
【チェンマイIPS(サタヤー・シワラマン記者)】タイ政府は18日から、国内のHIV(ヒト免疫不全ウィルス)感染者向けに治療の核となる抗レトロウィルス薬の製造を始めた。この決定は全世界で行われている必須医薬品の薬価引き下げ運動に大きな勝利をもたらした。
タイ製薬公団理事長トンチャイ・タウィーチャチャート博士によれば、同公団は主要な抗レトロウィルス薬の一つ「ジダノシン」(ddI)を、特許権者の米国系多国籍製薬企業ブリストル・マイヤーズ・スクイブ社の半値で販売する。
薬の生産を可能にしたのは、バンコクの裁判所が10月1日に下した、ブ社の排他的製造権の主張を退ける画期的な判決だった。
▽特許権拡張は無効との判決
「エイズ・アクセス財団」のニミット・ティエヌドム理事長は「この判決はHIV/エイズ患者・感染者にとって初の勝利だ。エイズ関係の権利擁護団体や患者組織の運動の未来に道を開くことになるだろう」と述べた。
同財団とエイズ問題活動家2人は2001年5月9日に、特許条項の変更を違法としてブ社を訴えた。
ブ社は92年の特許出願時に一錠の量を5〜100mgと定めた。しかし97年の特許更新時には申請時の範囲を超えた分量にも特許権を主張した。
判決はこの改定を違法とし、会社側に改定を見直し、初回申請時の範囲内で薬を製造するよう求めた。
今回の判決により製薬公団など第3者の企業も、範囲外の分量でddIを製造することができる。
公団は特許権侵害を避けるため、ジダノシンを顆粒で製造してきたが、錠剤よりも副作用が強く、患者からは摂取が困難だとの不満が寄せられていた。
会社側は30日以内に控訴することができる。ブ社のタイ支社は現地マスコミの取材に対し、控訴を決めるのは米国本社だが、今のところ連絡はないと答えた。
▽政府、同一薬を半値で販売
トンチャイ博士によれば、製薬公団は判決の確定を待ちながら、ジダノン4mg錠と125mg錠を製造する。最も高価な125mg錠でも価格は1錠20バーツ(60円)に抑えられる。
ブ社は25mg錠を11バーツ(33円)、50mg錠を22バーツ(66円)、125mg錠を44バーツ(132円)で販売している。また服用しやすいカプセルも製造しており、価格は250mg錠が123バーツ(369円)、400mg錠が194バーツ(582円)。
タイには100万人のHIV/エイズ患者・感染者がいるが、最善の治療法といわれる抗レトロウィルス薬を入手できるのは現在5%に満たない。
しかし発展途上国では、この抗レトロウィルス薬のように患者の生存に不可欠な医薬品の価格が高すぎ、薬を購入できない人が多数を占める。効果の高い三剤併用療法には年1万ドル(125万円)が必要だ。
薬の高価格化の背景には、多国籍製薬企業が強力な特許権保護法を駆使し、製造を独占するケースが多いことがある。
▽官民が取組む治療費引下げ
HIV治療薬の価格引き下げがタイで取組まれたのは99年後半、エイズ・アクセス財団や「HIVと共に生きる人々のネットワーク」などがタイ保健省前で抗議行動を起こしたことがきっかけとなった。 タイの取り組みを支援してきたのは、HIV患者が生存のために必要な薬を、患者の大半が購入できない値段で販売し続けようとする巨大製薬企業に対する国際キャンペーンだった。
タイ政府は米国政府と多国籍製薬企業からの圧力に屈し、生存のために必要な抗HIV薬について世界貿易機関(WTO)が認める強制ライセンス条項を発動しなかった。
しかし保健省は法の合間を縫って、高品質の抗レトロウィルス薬を安価で提供してきた。AZT(ジドブジン)はタイでは特許権の保護対象になっておらず、製薬公団はAZTのジェネリック薬(同一薬の廉価版)を製造している。
こうした取り組みと製薬会社への価格引下げ圧力により、HIV治療費用は下落している。
エイズ問題活動家によれば、患者の状況によって医師は8種類の多剤併用療法を提案できるという。
「この薬は数年前まで月2万6000バーツ(7万8000円)だったが、現在では1200バーツ(3600円)になった」と話すサムラーン・タカン氏は北タイのHIV感染者の自助組織「ニュー・ライフ友好協会」の創設者だ。
▽医療保険適用が次の課題
だがタイ国内のHIV感染者の多くは価格が下がっても薬を購入するだけの資金がない。健康問題以外に失業や貧困問題を抱えているからだ。
このことは、長く生き延びるのに必要な、体調の適切な管理と前向きな精神状態の維持能力を弱める。
「HIVと共に生きる人々の北部ネットワーク」のブンニアム・ウォンチャイヤム氏は「政府が薬を安価で提供することには賛成だが、政府にはそれ以上の責任がある」と話す。同氏は「政府には患者への包括的なケアについて考える義務がある。患者には定期的な助言と継続的な治療を受けるため、通院する必要がある」と指摘する。
タイ政府は昨年、1回わずか30バーツ(90円)で治療を受けられる医療保険制度を導入した。活動家団体は患者の包括的なケアを視野に入れ、HIV/エイズ治療への保険適用を求めている。HIVの治療薬や治療行為にはこの保険が適用されないからだ。
しかし活動家と団体が政府・国会に熱心に働きかけた結果、保健省は一定の条件が達成されればエイズ治療薬に保険を適用すると公約した。
また薬価引下につながる今回の判決で、政府には治療薬に保険を適用する財政的余裕が生まれている。
活動家側は、保健省は18日の歴史的な判決を受け、保険制度の一環として抗レトロウィルス薬の試験配布を始めると見ている。
この動きが本格化し、今回の裁判所の判断が、タイ国内で貧困と絶望に苦しむ最下層の人々の命を救う草の根の取り組みへとつながることが期待される。
【メモ】エイズ治療と経済格差 国境なき医師団によれば世界のHIV感染者約4000万人のうち、9割がHIVの増殖を抑える抗レトロウイルス薬の治療を受けることができない。こうした感染者の大半が発展途上国の住民だ。検査体制が整備され感染が判明しても、必要な医薬品の価格が高ければ治療を行うことはできない。こうした不平等な状況の解消を目指し、NGOや国際機関などが世界規模で運動を行っている。
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